リオ会議でスピーチ ウルグアイのムヒカ大統領

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2012年6月20日~22日の3日間、ブラジル・リオデジャネイロで開催された「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」でのウルグアイ・ムヒカ大統領のスピーチが話題になっている。
ここで各国の首脳がスピーチしたわけだけど、それぞれ自分のスピーチを終えると会場を後にする…結果、最後であったムヒカ大統領のスピーチのとき、ホールには殆ど誰もいなくなっていたそう。
そんな中、無難な…悪く言えば事なかれ主義的なスピーチをした他国の大統領とは違い、赤裸々な本音を訴えたメッセージはまさに衝撃的。
ぜひ多くの人に読んで頂きたいです。

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています。
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
働き者の我が国民は一生懸命8時間働きます。最近では6時間働く人が増えています。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福の対抗にあっては行けないのです。発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限のものを持つこと。
幸福が私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。
ありがとうございました。
(訳:打村明さん)
http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/

私たちは一体、何を目指しているんでしょうね。
どこかに大切なものを置き忘れてきたような…そんな気がします。

いつもありがとうございます。
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コメント

  1. 1300万頭の牛がどれだけ穀物を食って、どれだけ二酸化炭素を出すか言って欲しいね。

  2. 遅くまでお疲れ様です。
    マーケティングを語るとき、物言わぬ消費者という言い方をしますが、MotherLeafの物言わぬ閲覧者です。この二日間コメントしてますけどね。(・・。)ゞ
    ウルグアイ・ムヒカ大統領のスピーチは正にそのとおりだと思います。
    地球の資源は有限で、人口が増加すれば一人あたりが地球から得られる富の平均は下がるんですよね。
    世界的な経済の行き詰まりは先進国に偏っていた富の配分が開発途上国に移っている過渡期の現象だと思います。
    国内では、高年代に偏っている金融資産や固定資産等が、若い世代に薄く、また若い世代の負担で成り立っているということが課題ですかね。
    私は、ちょうど得も損も無い世代なので客観的に見てますが、
    ウルグアイ・ムヒカ大統領のスピーチは真をついてるなと感心したところです。いい情報ありがとうございました。
    物言わぬ閲覧者で応援いたします。

  3. ::kspawsさん::
    確かに、家畜(特に牛)の排出する二酸化炭素の量は膨大で、地球温暖化への影響はかなり大きいようですね。
    ただ、ウルグアイのように食物の輸出がメインで成り立っている国も、
    世界が変わる
      ↓
    人々の食生活がある程度質素になる
      ↓
    輸出量が減る
      ↓
    家畜が減少
    そうなると畜産農家の収入が減ってしまいますが、世界が変わることで物欲主義な考え方も変わるので、質素に暮らしていればかけもちで働かなくとも生活が成り立つ…とまぁ、そんなにうまくは行かないですかねww

  4. ::tks2aさん::
    もの言わぬ閲覧者さん、2日連続のコメントありがとうございますww
    >人口が増加すれば一人あたりが地球から得られる富の平均は下がるんですよね。
    確かにそうですね。
    そんな風に考えたことがなかったので、なるほど~!という感じです。
    今回のスピーチもそうです。
    結局私たちは、間接的に貧困に苦しむ人たちを圧迫しながら、自分たちの暮らしを成り立たせているのかもしれないと思いました。
    富の平均とは言っても、かなり偏りがありますよね。
    「もし世界が100人の村だったら」とか、「パレートの法則」じゃないけど、結局20人が先進国においての標準的な生活をしている時代に、80人の人が劣悪な居住環境にいるわけで、その劣悪な環境が20人によってもたらされているのだとすれば…なんてことを考えると恐ろしくなってきました。
    ちょっと飛躍しすぎで本題から外れてしまいましたが…
    いま色んな意味で世界が変わる良い「チャンス」なのかもしれません。
    もの言わぬ閲覧者なんて言わないで、これからもどんどん発言してくださいね~!