頭の中を渦巻いていた不安と恐怖が取り除かれた瞬間

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娘は帰国するなり、10カ月前に住んでいたアパートではなく、実家への帰宅となった。
色々と足りないものがあったので、家具や雑貨を見にIKEAへ行った。

広い店内を二人でぺちゃくちゃ喋りながら歩いていたとき、娘が急に私の視界から消えた。

 

娘は再び倒れていた。

 

厳密に言えば、倒れそうになり座り込んだのだけど。

大丈夫だと言うのでゆっくり立たせて、近くのイスに座って落ち着くのを待った。

娘が帰ってきて倒れたのは、このときと先日の病院の2回だけだと思うが、もしかすると私の知らないところでもあったかもしれない。

帰国してからは娘よりも私の方が薬や注射の時間に神経質になり、友だちにお土産を渡しに行った娘と連絡が取れなくなり、慌てて友だちのお母さんに連絡したこともあった。

帰国して1カ月は用心のために車で学校まで送り迎えをした。
片道40分…仕事を辞めていて本当に良かった。

奇しくも、会社を辞めた日と、リフォームローンが通った日と、気晴らしの旅行に行くためにパスポートを申請した日と、娘が救急搬送された日がすべて同じ日だった。

その上、私は就職困難者と認定されたお陰で、誰に気兼ねすることもなく1年間は娘の治療に付き添える。

あまりにも偶然とは思えないタイミングだった。

 

娘が入院していたとき、主治医の先生に

 

「娘は治りますか?」と聞くと

「治ります」と言われた。

 

本当に治るんだろうか。
娘がそばにいたので傷つけないよう、気休めにそう言ったのではないかと疑った。

腎臓病なんて治らないから透析患者がいるわけで、「治る」なんて何の根拠があって言ってるんだろうと思った。

現に娘の腎臓の状態は『レベル5』だった。
私の腎臓を移植したとしても、拒絶反応や副作用が起こる可能性があるし、移植が成功しても薬を一生服用し続けないといけない。

私の中で「治る」というのは、以前の状態に戻ることであり、食事や運動などの制限がなく普通の生活ができること。

治ると言われたことで、逆に頭の中で不安や恐怖がずっと渦巻いていた。

そのせいで、九大の先生には「治りますか」なんて聞けなかった。

「治ります」と言われても信じられないし、

「治りません」と言われてもショックが大きい。

 

しかしそんな恐怖を私の頭から取り除いてくれたのは、帰国後、2回目に受診したときに先生がサラッと言ったひとことだった。

 

「人工透析するほどではありませんね」

 

このときの気持ちは、言葉では言い表せない。

いつもありがとうございます。
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