2泊3日で岩手へ 宮沢賢治と花巻空港

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私が岩手を離れる前に立ち寄ったのは、花巻農業高校の敷地内にある旧羅須地人協会。

「雨ニモマケズ~」の宮沢賢治(1896-1933)の祖父が1904年に隠居所として建てたものを賢治が30歳のときに設立した羅須地人協会で使用。
賢治の没後、この場所に移築された。

宮沢賢治が生まれる2カ月ほど前に「三陸地震津波」が発生、また生後5日目には「陸羽地震」が起き、どちらも大きな被害をもたらした。
更に亡くなる半年前には「三陸沖地震」まで発生。
たった37年の間に大きな災害が3度も起きるなんて。

誕生の年と最期の年に大きな災害があったことは、天候と気温や災害を憂慮した賢治の生涯と何らかの暗合を感ずると宮澤清六は指摘している。地震直後に詩人の大木実(1913年-1996年)へ宛てた見舞いの礼状には、「海岸は実に悲惨です」と津波の被害について書いている。
(Wikipediaより)

2泊3日で岩手へ その5

 

 

 

 

 

 

 

 

賢治の筆跡を模した『下ノ 畑ニ 居リマス 賢治』の文字(復元整備の際に弟の宮沢清六によって書かれたものが、消えないよう農業高校の生徒によって上書きされ続けている)が記されており、建物横には賢治が農作業のあと、使用された手洗い場の東屋も復元されている。

2泊3日で岩手へ その5

 

 

 

 

 

 

 

この静かな土地で、何度も3.11のような大地震が起きたなんて信じられない。

2泊3日で岩手へ その5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、観光はここまで。
たった30分ほどだったけど、良いものを見させてもらった。
そしてまた歩く。

2泊3日で岩手へ その5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩いている途中で、取材中の友人からメール。
一緒に移動している岡部さんが、私が歩いて空港へ向かっているのを知って、たいそう驚いたらしい。
駅から空港まで20分というのは「タクシーで」ということだったみたい。
車通りは殆どなく、5分に1回ぐらい通り過ぎる車を横目に何度ヒッチハイクをしようと思ったか。
足にできたマメがつぶれ、本当に心が折れそうだった。
思い起こせば、あの「花巻空港駅」というネーミングがいかん!なんてブツブツ言いながらも、空港への道案内を見つけたときは、感動だった。
(ここから更に10分ほど歩いたんだけどね)

そして、やっと到着。
見知らぬ土地での冒険はそろそろ終わりにしなくちゃね。
ほんと、体がついていかないわ。

2泊3日で岩手へ その5

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