嘉穂劇場に行ってきた。
嘉穂劇場
1931年(昭和6年)、当時の福岡県嘉穂郡飯塚町で伊藤隆により設置される。前身は1921年(大正10年)に大阪・中座を模して建てられた木造3階建ての「株式会社中座」。
観客は当時筑豊地域の中心産業であった石炭炭鉱の労働者とその家族が中心で、大衆演劇や歌手の公演などで賑わった。
しかし石炭産業の衰退もあって、1962年(昭和37年)には延べ266日であった公演数は、1970年代には10~15日に落ち込む。
こうした事態を打開すべく、隆の死後経営を引き継いだ娘・英子の奮闘もあり、1979年(昭和54年)から毎年9月に九州演劇協会による「全国座長大会」が開催されるようになったことや、レトロな雰囲気が人気となり、近年では、年間30 – 40日の公演が行われていた。
2000年(平成12年)7月30日には椎名林檎の一夜限りのライブイベント「座禅エクスタシー」の会場に使われた。
Wikipediaより
筑後に現存する数少ない舞台遺構のひとつである廻舞台は、舞台の真下にて12人ほどの人力で動かす構造。
この日は半年振りに動かすとのことで、「やってみませんか?」と声を掛けられた。
「せーの!」で体重をかけて時計回りに支柱を押す。
舞台に人はおらず、ドラムやアンプなどのバンドのセットのみだったので、思ったほど重くはなかった。
しかし、30人程の演者を乗せて廻したこともあるらしく、おそらくその人数だったら全員男性でないと難しいと思う。
2003年(平成15年)7月19日の大雨により、劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、客席や舞台、花道等が浮き上がり、1階内部が使用不能になる被害を受ける。九州演劇協会会長・玄海竜二より連絡を受けた津川雅彦らが芸能人仲間に呼びかけ、中村玉緒、明石家さんま、中村勘九郎(現・18代中村勘三郎)ら大物が駆け付けた復旧チャリティイベントが行われ、イベントに先立ち飯塚市中心商店街で「お練り」も行われた。このイベントでは、田村正和や木村拓哉らの私物がチャリティオークションにかけられ、東京でも滅多に無い豪華なイベントとして話題となった。
Wikipediaより
その水害は、私が想像していたものよりずっと大変だったようだ。
水害後は、約1年かけて復旧工事が行われ、翌年9月に復興したらしい。
ところで、今回どうして嘉穂劇場へ行ったかというと…
この人がここで踊ったから↓
急遽決まったイベントだったのと、発表会前で今月は出費が多かったのもあって、正直、あまり気がすすまなかったんだけど、こんなことでもないと嘉穂劇場なんて行く機会がないので行って良かった。
Beも良い経験になったんじゃないかな。
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コメント
嘉穂劇場…一度行ってみたいなと思っているところなんですよねぇ。
なかなかその機会に恵まれずまだ夢叶っていませんが。
それにしても水害っていうのは本当に恐ろしいものですね。
私の住んでいる地方では水害はあんまりありませんが
もしも…と考えると本当に怖いです。
しらなかったよ~~
なかなか情緒あふれる素敵なところだね
福岡にも行くことがなくなったよ
昔は祖父母が宗像市にいて駐在勤務だったから長い休みには福岡にいってたんだけどね・・・
それにしてもBeちゃん、素敵な女性に成長してるね♪
スタイルいいし!!
洪水の時は大変だった・・・・
::mukasiaasoboさん::
こんばんは。
コメントありがとうございます!
mukasiaasoboさんは、福岡在住ですか?
嘉穂劇場って、高速を通ればうちから40~50分ほどのそれほど遠くない場所なんですが、なかなか飯塚方面って行く機会がないんですよね。
でも実際に行ってみると、こんなところが福岡にあったんだ!と、感動しましたよ。
少々遠くても行く価値はあると思います~。
水害、本当に怖いですね。
今年の水害もそうですが、まさか福岡でこんなことになるなんて!?と思ってしまいますが、この油断がいざというときに怖いんですよね。
お互いに気をつけたいものです…
::nonさん::
宗像~!
思い切り福岡だよね~(←当たり前だけど)
嘉穂劇場は、宗像からもそれほど遠くない場所だよね~。
でもやっぱり、福岡市内で何でも済んでしまうので、飯塚方面は行く機会もなければ、情報もそれほど入ってこない…
もっと宣伝すれば、お客さん来ると思うんだけどね。
Beはメイクでかな~り大人っぽく見えるよね~。
髪をストレートにしてから、何を意識してるのか、動きまで妙に女っぽくなっちゃって。
夏休みの宿題している姿に、かな~り違和感を感じる今日この頃です…
::kspawsさん::
洪水からもう9年も経つんですねぇ。
ついこの間の出来事のように覚えてますけど。
よくここまで復活したものですよね。