五体不満足と心身障害者

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先日泊まりに来た友人が、小4の子の授業参観に出たときのこと話してくれた。
同和や差別問題などを取り上げた授業だったらしく、題材になったのが乙武くんの「五体不満足」だったそうだ。

その友人は雑誌などの文章を書く仕事を長年やっており、彼女曰くどうもその先生はこの本の著者が意図するところを取り違えているんじゃないかと言い出した。

乙武氏を出産したばかりの母親に、手足のない赤ちゃんを見せるとショックを受けてしまうのではないかという周囲の心配の中、我が子をひと目見た瞬間
「かわいい」と言った母親。
それを、先生はこの母親のことをエライと言った。
エライって…手足がなくてかわいそうな我が子を見て悲観しなかったからエライのか?
「かわいい」と言ったのはそんなことではなく、母親が我が子を初めて見た素直な感想なのではないか?

そして…
「目や体の不自由な人を見かけたら声を掛けてあげましょう」と言ったんだとか。
困っている人がいれば身体の不自由は関係なく声を掛けるのが当然なのだが、困ってもいないのに身体障害者だからといってむやみに声を掛けられる方はたまったもんじゃない。
親切というよりも、逆に身体の不自由さを同情されていると勘違いするのではないか?
そんなことを話しているときに、ふと昔を思い出した。

中洲のクラブでアルバイトをしていたことがある。
派遣だったのでノルマなどもなく、夜8時に店に入り、12時になるとさっさと家に帰った。
何度かお店の女の子に誘われてお客さんと飲みに行ったことはあるが、自分ひとりで行ったことは殆どなく、客からの誘いも必ず断っていた。

そんなある日、マスターからひとりのお客さんを紹介された。
弁護士である彼は物静かで、常にきちんとした身なりをしており、年齢は50歳前後(いや、もっと若かったかも)、足が不自由で片足だったか両足だったかは忘れたが義足をつけていた。
普段は女の子のいるクラブなんかよりもお気に入りのピアノバーで飲むのを好んだが、たまたま仕事仲間に連れてこられたうちの店で、たまたま席についた私を気に入ってくれたらしい。
それから二度、三度と足を運ぶようになった彼が、いつもバカばっかり言っていた私を気に入ってくれたことはとても意外だった。

その彼に、近々、一緒に食事をしないかと誘われた。
いつもの私だったら即行で断るのだが、その彼に対してはなぜか断ることができなかった。
翌週、静かな料亭で食事をした。
本当に無口な方で、私がひとりでずっと喋っていたような気がする。

食事が終わり、玄関までの広くて長い廊下をゆっくりと後ろから歩きながら、無意識に彼の足を見つめ、なぜ私はここにいるんだろうと思った。
無口な彼だから、きっと勇気を振り絞って誘ってくれたんだろうと想像したからか?
いや、もしかしたら彼が身体障害者だったからなのかもしれない。
何度考えても、どうしてOKの返事をしたのかはわからないのだけど、もしかすると彼が義足でなかったら断ったかもしれないと思った。

口ではキレイごとを言っても、やっぱり無意識に身体障害者ということを意識してしまう自分が悲しかった。
あれはあくまでも差別ではなく区別ではあったつもりなのだけど、こんな私に、娘を凝視する見ず知らずの人のことをとやかく言う資格はないのかもしれない。

いつもありがとうございます。
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MotherLeaf*

コメント

  1. 人間だもの・・・当然です。
    どんなに飾っていても誰の心にもある気持ちです。
    私のたった一人の兄が車椅子の障害者です。
    彼を昔から見ていて可哀想とか余り思ったことはなく
    時間が私たちより、ゆっくり流れているだけだと・・・
    不遇なんじゃなく少し不便なだけ・・・
    娘さん・・・これからは個性の時代
    辛い事も、チャンスもたくさん有ります。
    辛い事を乗り越え、いつチャンスが来てもゲットできる準備を
    手助けするのが・・・kaoさん! 親の役目だよ
    親として成人して気付いた事です。

  2. こんばんは。
    kaoさんの書かれていた↓
    >口ではキレイごとを言っても、
    >やっぱり無意識に身体障害者ということを意識してしまう自分が
    >悲しかった。
    正直なお気持ちですよね。
    あたしにも、障害者の親戚がいます。
    皆で集まるとき、その人とどんな風に接していいのか、
    最初、悩みました。
    今でも皆と同じか?と問われれば、そうだ!と強くいえない自分がいます。
    もっと、なんでもないことなんだ、ってさらっと言える自分でいたい、
    そう思っているあたりから、違ってるってことなんですよね・・・。

  3. ウチの学校には障害を持つ子供たちの特別クラスがあるんだけど、親が希望をする場合は一日の何時間かは一般のクラスに席を置いたりするんだよね。2年生くらいのクラスになると、特別クラスから来たその子がどんなに困っていても近寄りもしない生徒と、さり気なく靴紐を結んであげたり、上手くできないことをちょっと手伝ってあげたりできる生徒が真っ二つに分かれるのよ。 
    見て見ぬフリの子が冷たいっていうよりも、そういう子供は障害のある人との時間を過ごしたことがないからじゃないのかな?って思う。 
    学校の先生の仕事って、そういう子供達にいろんな教材を通してその類似体験っていうか、考える機会を持つきっかけを作るのが役目じゃない? そのお友達の学校の先生みたいにただ教育課程に組み込まれているから…みたいな教え方ではただの時間の無駄どころか、子供達に違った先入観を植え付けてしまうよね。

  4. ちょっと関係ないけど、乙武くんと天神の地下ですれ違ったことがあるよ。
    まだオリバーがベビーカーに乗っている状態で、地下鉄にのって病院にいかなくちゃいけない状況でさ。
    西鉄電車のるのに、まずバリアフリーじゃないでしょ。それから天神にでると、地下鉄に乗り換えるのに、ちゃんとエレベータの位置を頭にいれておかないと大変なことになる。
    そういうちょっとした問題意識をもちながら、ソラリアステージの地下に降りたとき、一人でテンポよくさりげなくすれ違った、あの人はまさに乙武くんでした。
    あまりにもさりげないので、私もよく考えて「乙武くんだったんだ」って、もう彼が見えなくなってから気がつきました。
    彼も、エレベータを求めて、私と同じルートを通っていたんだと思います。

  5. …つづき
    みんながこうやって、さりげなく生活してゆける環境って大事だと思う。
    そしてバリアフリーの必要性を軽視した、東横インの社長の発言に怒り心頭の私。
    あの社長、数年後に足腰立たなくなって車椅子生活になるんじゃないかと思いました。自分のやってきたことをそこで反省できればまだいいのだけどね…

  6. 差別を無くすのは難しい。世の中、差別化,差別化って企業とか役所が叫んでる。その差別とは違うと言うんだろうけど、弱者差別はなかなか減らない。
    東横の社長がいい例、勝ち組と言われる人たちが負け組や弱者を理解してない。
    今の日本、必ず自分の周りに障害者の一人はいるんだから、やさしくと思うけど。難しいね。

  7. うん、私もいつも自問してる。母親が養護学校の教員
    してた時期があってよく夏休みは一緒に行ってたし、
    生徒さんともたくさん遊んでもらった。で、20年以上
    立っても遊びに来る生徒さんも中にはいるのよね~。
    (もういい年したおっさんだけど、笑)
    叔母も目が不自由で昔の人だから一歩も外に出させて
    もらえなかったみたいだけどすごく博識でよく遊んでもらったし
    教えてもらった。60過ぎてから特老に入ったら卓球とか
    編み物とか色々活動して楽しいみたい。

  8. (つづき)
    でね、この前kaoさんのような自分に気づいた。ある意味
    「美化」してたかもしれないって。新聞で『心身障害者、知人の
    心身障害者を恐喝』って読んでて、「えー、そんなことあるんや!
    手話で恐喝?」っていったら母親が「彼らの世界もまるで同じ。
    不良もいるし。障害者やからっていい人とは限らないよ。」
    そうだよね、分かってても彼らの美しい話は読んでも
    汚いことはなかなか知る機会いないもんね。
    kenkenがTV番組で障害者が話しているのを見て大笑い。
    「kenken、この人はわざとこんな話し方してるんじゃなくて、
    病気や身体のつくりの違いなんだよ。」って話したんだけど。

  9. ↑banさん私は福岡ドームの近くで乙武さん見かけましたよ~(^ー^)おっしゃるとおり、普通に歩道で見かけたので、気付かない所でした
    >口ではキレイごとを言っても、やっぱり無意識に身体障害者ということを意識してしまう自分が悲しかった。

    私もこれって考えちゃう事あるよ~
    もちろん差別してるつもりはないんだけど、慣れてないと必要以上に気をまわし過ぎたり、またそれを相手に気付かれてしまって何だか自己嫌悪になっちゃう(T_T)
    ななさんの言うとおり、普段障害者の方と接してないからかな~?
    そういえば乙武さんのお母さんって、すごく厳しく育てたって聞いた事あるよ。
    障害を持っていても、普通の人と同じように自分の力だけで生きていかなきゃいけない時がいずれやってくるし、その時に困るのは本人だからって事らしいけど、もし自分が同じ立場だったら出来るかな~?と思って、その話を聞いた時に尊敬したんだ~

  10. 障害がある人たちって、そこが一番目立っちゃうから損だよね。
    すごく、笑顔がステキだったり、話し方が穏やかだったり、優しい人だったりいろいろあるんだろうけど、その人のことを思い出すときとか人に伝えるときってやっぱりその障害がある○○さんになっちゃうもんね。
    それにしても、その先生は大きな勘違いだね。
    障害があることをマイナス評価して、下に見ちゃってるよね。
    私は、障害者の人たちと毎日接してるから、当たり前になっちゃったけど、それはたまたまこういう仕事だからだもんね。
    でも、同情心が悪いとも思わないよ。
    そういう人たちの中には、この際「この障害を武器にして人と出会うんだ♪」って人もいるよ(笑)
    それくらいにできる人はつわものだけどねw
    障害も、人種も1つの個性として受け止められるようになれば良いんだろうけど、実際はなかなか難しいのかもね・・・。

  11. *minorunさん*
    >人間だもの・・・当然です。
    >どんなに飾っていても誰の心にもある気持ちです。
    ありがとうございます。
    なんだかラクになれそうです。
    お兄さん、ゆっくりとした時間の流れの中で、きっと私たちの目には見えないものがいっぱい見えているんでしょうね。
    そう考えると、羨ましいような気さえします。
    不遇ではなくて不便なだけなんですね。

  12. *nekoさん*
    身近に身障者の方がいらしても、やっぱり意識してしまうこともあるんですね。
    こればっかりは素直な気持ちなので、コントロールのしようがないんですが、これって私たちが生まれ育ってきた環境とか学んできた中で築いてきた既成概念がそうさせるのかもしれません。
    難しいですね。

  13. *ななさん*
    >・・・近寄りもしない生徒と、さり気なく靴紐を結んであげたり、
    >上手くできないことをちょっと手伝ってあげたりできる生徒・・・
    この違いって何なんだろうね。
    育ってきた環境かなぁとも思うけど、生まれ持ったものもあるんだろうか?
    子供のときに経験するこんなことって本当に重要だよね。
    友達の子の先生のことは、結局、教師ってのは社会のことを何も知らないんだろうってことになったんだけどさ、必ずしもそうとは言えないよね。
    きっとその先生も、同じように教えられてきたのかもしれないしね。
    この先生に教えられた生徒の将来が心配になってきたよ。

  14. *banさん*
    乙武くん、会ったんだ~!
    >一人でテンポよくさりげなくすれ違った、あの人はまさに乙武くんでした。
    見知らぬ土地で、すごいなぁ。
    彼に関しては身障者とかよりも、健常者以上に行動的だし明るいし、見ていて気持ちがいいよね。
    でも日本ってさ、先進国でありながら、バリアフリーじゃないとこが殆どだし、遅れすぎだよね。
    それにさ、車で外出するとよく出くわすんだけど、身障者用の駐車スペースに堂々と健常者が車を停めてるの見ると腹が立つ!
    だいたいヤンキーか、中年のジジィかババァなんだけどさ。
    文句を言ってやろうってチャンスを伺ったりするんだけど、妙に遠かったりすることが多くてまだ果たせてないのよね。
    今度見かけたら絶対言ってやろうと思ってるんだけど。
    東横イン・・・サイテーよね。
    弱者を利用して、金を稼ぐ・・・あんな経営者、絶対地獄に落ちるよ。

  15. *kspawsさん*
    難しい問題ですね。
    中学生が堂々とタバコを吸ってるとこ見かけても知らんぷりの時代ですから。
    身近に身障者の方がいるかいないかで違うんでしょうが、私の周りってほんとにいないんですよね。
    (-_-;ウーン

  16. *kabasai*さん*
    >新聞で『心身体障害者、知人の心身障害者を恐喝』
    この事件、私も驚いたよ。
    自分も辛い思いをしてきただろうに、なんでかなって不思議でならなかった。
    Beの保育園にね、月に1度、養護学校に通うお兄ちゃんたちが来て一緒に遊んでるらしいんだよね。
    園で働いてる人もちょっとした障害を持ってたりするんで、その辺に力を入れてるのかもだけど、いい経験だなぁ~と思うわ。
    まだ小さな子供たちが、障害を持った人たちに偏見なく関われるっていうのは大切なことだよね。
    園がいろいろやっても、親が偏見持ってたら意味ないんだけどさ。
    私も頑張らなくちゃ。

  17. *tomokerock*
    おぉぉ~~ここにも乙武くんと遭遇した人が(⌒▽⌒;) オッドロキー
    かなりウロウロしてたんだね。
    五体不満足にお母さんが厳しかったこと色々書いてあったよ。
    それこそスゴイお母さんだなーって思った。
    そのお母さんの息子だから乙武くんも明るく元気に育ったんだなぁって。
    部活もしっかりやってたし(野球だったかな)、本当に障害者なの?って疑いたくなるような内容で・・・本が話題になったことでテレビにもいっぱい出て、世間の身障者に対するイメージを少し変えてくれたよね。
    あれはすっごくいいことだって思ったよ。
    誰かが言ってたなぁ・・・身障者って暗いイメージがあるんで、どう接していいかわからないって。
    それはあるなぁって思ったんだけどさ、その暗いとか明るいとかは健常者にも言えることだから、実際はなかなか難しいよね~。

  18. *みっちゃん*
    みっちゃんみたいに普段から身障者の方に接していたら、私たちが感じることのないその人たちのステキな部分がいっぱい見えてくるんだろうねぇ。
    >そういう人たちの中には、この際「この障害を武器にして人と出会うんだ♪」って人もいるよ(笑)
    うぉぉぉ~そんな人いるんだ!
    たのもしいなぁ。
    そんな人たちと知り合うことが殆どないからか、身障者ってひとくくりにすること自体がおかしいんだよね、きっと。
    目立ってしまう部分を意識してしまうのは仕方ないけどさ、もっと身近にそんな人たちがいたら、こんな気持ちどこかへ吹っ飛んでいくんだろうなぁ。

  19. 私も障害者に係わる仕事をしてるけど 彼らは不自由ではなく少し不便なだけと よく言ってます。
    手助けを必要としているときに 手を貸してあげる それだけでいいと思うのだけど・・・。
    いつか 車椅子を押していて交差点の真ん中で 車椅子ごと倒れたとき さりげなく手を貸してくれたのは外人の方でした。
    たくさん行きかう人がいたのに みんな咄嗟に手が出せないようでした。
    きっと なにかしたいって気持ちはあるんだろうけど 身構えてしまうのかな・・・?
    障害者 健常者って言葉も私は なんだか好きになれないな。

  20. へ~、tomokerockさんも乙武くんに遭遇しているとは、ほんとびっくりですね。福岡好きなのかなぁ?
    日本のバリアフリー化、ほんと遅れています。
    ハード面では無理ならば、ソフト面でどうにかしてほしいと思う。
    なのに、身障者用の駐車スペースに堂々と停めるようなバカチンはなかなか減らないですね…

  21. こんにちは。実は普段からコソコソここ覗いています^^
    実は今、カナダに留学中なんですが、障害者に対しての意識日本と全然違うなぁ、日本、やっぱり遅れてる…–; と感じること多々です。
    意識が違うというか、全く意識してない感じです。
    私の友達も足が悪く、歩くの遅いし、ちょっと変な歩き方なんですが、
    彼女いわく、
    「日本に居たときは、皆あたしの足見たり、視線をよく感じてたけど、
    こっちにいると誰も見てこないから楽。」
    って言ってました。
    障害者の人、車椅子の人、日本にいるよりたくさん見かけるし、
    誰も好奇の目じゃないなぁて。
    日本だと視線が気になって出てこない人もきっといますよね。
    …そんな私も、日本に居たときは、自分でも気づかないうちに
    障害者の人を見ちゃってたそんな気がします…恥ずかしいですね。

  22. *agehaさん*
    日本人ってそうなんだよね。
    気持ちを率直に表現できない人種だからかな。
    恥ずかしい?かっこわるい?
    そう思う程度だったらまだ救いようはあるけど、もし本当に無関心なだけだったら恐いですね。
    >障害者 健常者って言葉も私は なんだか好きになれないな。
    こんな言葉を普通に使ってしまうとこに原因があるんでしょうか・・・反省。

  23. *banさん*
    banさんとtomokerockが乙武くんを見かけたのはもしかすると同じ時期なんじゃないのかな?
    それとも頻繁に来福してるのだろうか・・・・・。
    福岡もさ、オリンピック誘致とかするんだったら、今頃は既にどこもバリアフリーでないとおかしいよね。
    何考えてんだか・・・

  24. *miuさん*
    初めまして!
    カナダからはるばる(?)覗いて下さって、ありがとうございます。
    そのお友だちの話、なんだか日本を恥ずかしく思います。
    自国で好奇の視線を浴び、他国でそれがなくてホッとするなんて・・・。
    なんてことなんでしょうね。
    >日本だと視線が気になって出てこない人もきっといますよね。
    そう、たくさんいらっしゃるでしょうね。
    お気の毒です。みんなが出られなくしたんですよね。
    誰にでもいえることなんですが、やっぱり自分の身近にそんな人がいないと理解できないのかもしれません。
    私も今回ブログに書いたこと、ずっと心に引っ掛っていました。
    意識を変えるって、本当に難しいです。