兄の借金問題と若かりし頃のつまづき

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今日は昨日と打って変わって、静かな日だった。
ヤミ金からの電話は全て着信拒否にした。
実家の電話のナンバーディスプレイを申し込み、登録以外の番号からは着信音が鳴らないようにした。
兄の借金整理としては、やっぱり弁護士さんにお願いした方が完璧だとの意見が多いのでそうすることにした。
弁護料を支払う金さえないので、法律扶助(弁護料を立て替えて頂き分割で返済できる)が受けられるかどうか協会に電話するように兄に指示。
受けられる場合は、そちらから弁護士を紹介して頂けるらしいが、資格制限があるため少々不安。
しかし私はこの法律扶助制度を過去に利用したことがある。

24歳のころだった。
友達がつくった会社への投資話がきて、当然、私はお金なんてなかったのだが、必ず儲かるから(今じゃあ、死語だよね)借金して投資しても損はしないと言われ、断れずに従った。
合計数千万の金が集まったらしいが、結局うまくいかず、会社の人たちは言い訳ばかりしながら姿を消した。
言われるがままに借金を重ねていった結果、私は500万円の借金を抱えてしまっていた。
途方に暮れてしまったが、借金のことよりも騙されたことが悔しくて悔しくて…、私は反撃に出た。

民事なので警察は動かない。
まず知り合いに新聞記者を呼んでもらい、取材して頂いた。
翌日の新聞の三面記事に大きく『詐欺』ということで記事が掲載されると警察がやっと動き出した。
また、記事のコピーを会社社長の兄弟の職場に書き留めで送りつけた。
それと同時に私は知人に弁護士を紹介してもらい、相談に行った。
ある企業からその会社に120万円ほどの現金が振り込まれることを知っていたので、それを横取りしようと考えたのだ。
しかし、私には弁護士に払うお金もなかったので、そこで法律扶助のお世話になった。
運良く仮差し押さえに成功し、そのお金は私のものになり、法律扶助の金は全て返した。
このことで他の債権者からの反感を買い、かなりの嫌がらせを受けたが負けなかった。

あとの借金は平日の昼は会社の事務、平日の夜は中洲のクラブ、週末の夜はホテルのラウンジのキャッシャー、それから朝にかけてはシティホテルのフロント…と死ぬほど働いた。
途中、帯状疱疹にかかってしまい、点滴を打ちながら働いたこともあった。
全額返済できたのは29歳ぐらいの時。
かなり高い授業料だったが、今ではいい経験だったと思う。
兄にもこれくらいの頑張りを見せてほしいのだが、いざとなれば男より女の方が根性があるのかもしれない。
うちの兄には無理だな。
情けない。

いつもありがとうございます。
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MotherLeaf*

コメント

  1. 身を以て知るというのは、このことですね。
    kaoさんは、サバイバル競争では絶対優勝候補です。
    アメリカにいると、日本人の謙虚さが邪魔になります。
    kaoさんを見習って強く生きてみます。
    どうもありがとう。

  2. ラン子さん、こんばんは。
    >kaoさんは、サバイバル競争では絶対優勝候補です。
    ↑ちょっと笑えました。
    そんなに強い人間ではないんですよ。
    本当は怖がりだし、気は小さいし・・と普通なんです。
    ただ、自分の限界って自分が決めるものだと思うんですよね。
    これ以上は無理だと思うとそこで止まってしまうけれど、
    あそこまで行ける筈だと信じると、不思議と頑張れる。
    私はかなり自分に自信を持って生きていた方なので
    挫折を挫折と感じず、バネに出来たんです。
    今ではかなり落ち着きました・・・。