二人で過ごした大晦日は苦痛でしかなかった

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Nちゃんが明らかに嘘をつくようになってから、私たちは互いへの不信感が募り、会話も随分と減ったと同時に思いやりもなくなってしまったと思う。

Nちゃんは遊びから帰ってくるのが遅くなることがよくあった。
晩ごはんはどうするのかとLINEで尋ねると、食べると言うのでとりあえず作りはするが、夜の8時とか9時に帰ってきたNちゃんのために夕飯を温めなおすのが嫌になり、こんなこともう続けられないとルールを作った。
夜8時以降に帰ってくる場合は夕飯は外で済ませること。
このルールのお陰で、ずいぶん気持ちがラクになった。

普段家にいるとき、私が夕食の準備をしていると食卓で携帯を触っていた。
冬になっても家ではショートパンツを履いていたので寒かったのか、ブランケットを体に巻き付けた状態で携帯を触る。
仕事から帰り、バタバタと夕飯の準備をしている同じ空間でこれをやられるとイライラが募った。
そして手伝いをするよう声をかけると、テーブルを拭いたり、グラスや箸を並べたりしてくれたが、それが何度か続くと、食事の準備が出来るまで部屋から出てこなくなった。

そう、以前はたまにやってくれていた手伝いを全くやらなくなった。
これは私の責任で躾をしなくちゃならない範疇であるのはわかっていたが、もう言いたくもない。
「ごはんよー」と呼ばれるまで部屋から出てこないのは、手伝いはしませんというNちゃんからの無言のメッセージと受け取った。
大人げないのはわかっていたが、その頃は仕事でもいろいろあり精神的に全く余裕がない状態だった。

そして、年末…
毎年、母や娘と親せき宅で紅白を見ながら新年を迎えるのが恒例となっていたが、母にも親戚にも迷惑をかけたくなくて、Nちゃんとふたりで過ごすことにした。

お寿司を食べながら二人で紅白。

食事が終わると、テレビを見ながらNちゃんはタイ人の友だちとLINEで話をしていた。
我が家に来て間もないころだったか、この光景はよく見ていた。
タイ人の友だち4人とLINEを繋げたまま何時間もテレビを見ながら喋っているのを叱ったことがある。
「そんなことしてたら日本語上手にならないよ!!!!」
それでも毎日、毎日、彼女の部屋からはタイ語が聞こえてきた。

一方、アメリカ留学中の娘はホームステイ先できっちりとルールが決められていて、私に電話できるのは2週間に1度だけで、しかも話が長くなるとホストマザーが声をかけにきた。
その上、日本の友だちには電話をしないと娘が自分で決めていたこともあり、そのお陰で英語もずいぶん上達した。

しかしNちゃんの留学の目的は日本語の習得ではないので、私は注意さえしなくなっていた。

紅白のあと、ジャニーズのカウントダウン番組を見始めたNちゃんは、テレビに夢中になって飛んだり跳ねたり奇声を上げたり…たぶん、コンサートではいつもこうなんだろうけど、我が家は4階だし夜中だし…で、静かにするよう何度か注意をした。
Nちゃんはこの頃にはたぶん、来日したころと比べると10キロ以上は太っていたと思う。
そんな巨体で飛んだり跳ねたりされるのは本当に迷惑で、何度注意しても同じことを繰り返した。

私はというと、テレビは面白くないし、Nちゃんはこんな風だしで…食卓でネットサーフィン。
今までで一番楽しくない大晦日だった。

そしてカウントダウン…テレビと一緒にNちゃんのカウントダウンが始まった。

5・4・3・2・1 !!!!

おめでと~~~と何度もテレビ画面に向かって手を振りながら飛び跳ねる。

それからもテレビのアイドルと一緒に歌いながら、ずっと飛んだり跳ねたり踊ったり手を振ったり、その姿を見れば見るほど、親せき宅に連れて行かなくて正解だったと思った。

そして、新年明けてから15分か20分ぐらい経ち、番組がコマーシャルになったそのとき、ふいに後ろを振り向いたNちゃんが私を見てハッと思い出したような表情で

「………おめでとうございます」

帰国まであと1カ月半。
私自身のメンタルがもつか心配になった。

いつもありがとうございます。
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